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鹿児島地方裁判所 昭和47年(ワ)213号 判決 1978年9月29日

原告

児島佐美子

外四名

右原告ら訴訟代理人

保澤末良

被告

同和火災海上保険株式会社

右代表者

磯野国徳

右訴訟代理人

石丸拓之

外二名

被告

田平栄造

右訴訟代理人

松村仲之助

右訴訟復代理人

鎌田六郎

主文

原告らの請求を、いずれも、棄却する。

訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

原告ら訴訟代理人は「被告らは連帯して原告児島勝彦に対し金一六六万円、その余の原告らに対し各金八三万円を、被告田平栄造は、原告児島勝彦に対し金八四万円、その余の原告らに対し各金四二万円を、いずれも、昭和四六年一〇月一日以降支払済まで年五分の割合による金員を付加して支払え。訴訟費用は被告らの負担とする。」旨の判決並びに仮執行の宣言を求め、た。<以下、事実省略>

理由

原告ら主張の昭和四六年四月一六日、訴外亡児島サチが原告ら主張の交差点において訴外徳永克己運転、訴外宮田栄三所有にかかる自動車と衝突し、原告ら主張の損傷を負い、同日被告田平栄造が院長医師として個人的に経営する田平整形外科病院に入院、同被告の治療を受けていたが、完治せざる同年九月一八日、転院先の鹿児島市高麗町二九番一七号所在河井病院において癒着性股ヘルニア腸閉塞症急性化膿性腹膜炎シヨツク状態のため死亡したことは、<証拠>によつてこれを認めることができ、右認定に反する証拠はない。

一原告らはサチの死亡は、(一)本件交通事故によつて惹起されたものであり、(二)さらに、被告田平栄造の診断治療上の過誤および(三)同被告がサチの疾病が自己の専門外の治療を要することを知つた後適時適切な転医処置をとらなかつた過失によつて惹起されたものである旨主張するから順次検討を加える。

(一)  <証拠>によると、サチの田平整形外科病院における初診時の損傷は、おおよそ、右大腿骨下三分の一の部の骨折、右下腿下端、内踝部および外踝部の骨折、右後頭部の挫創(鶏卵大の腫脹)右足背挫滅創であつて、脳損傷その他生命に関わる危険のある損傷を含まず、そのときの一般状態としては、右損傷により右下股が挙上不能であるほか、頭痛およびその他受傷部の痛みを訴えるも、右応答正確、顔面表情も正常で、その他全体に著変なく、その後右損傷の治療経過も順調であり、同年八月二一日から同月末にかけて一個のみの松葉杖使用による歩行訓練を受ける程度にまで回復していたことを認めることができ、右認定に反する証拠はない。結局本件交通事故による損傷はそれ自体としてサチの死亡を惹起するが如きものではなかつたことが明らかである。

さらに鑑定人松倉豊治の鑑定の結果(以下松倉鑑定という)によると、本件交通事故とサチの股ヘルニアの関係につき、(イ)本件交通事故に直接起因するいわゆる外傷性股ヘルニアを生じた可能性は全く存しないが、(ロ)本件交通事故により治療を余儀なくされたことによる体力減退あるいはサチの確定し難い既往症等が他の不定素因と重なつて、本件股ヘルニアを惹起した可能性は理論上これを否定することができないことが認められる。すなわち松倉鑑定によれば、(イ)元来股ヘルニア(大腿ヘルニア)は鼠蹊靱帯の下部に存する筋膜ならびに靱帯の間隙(大腿管)を通じて腹腔内から腹膜で覆われた腸管が脱出してくるものであるが、もし、ちようどその部位またはその付近に強い打撲を受けてこの組織間隙ないし周辺結合織が引き裂かれるような力の働きで拡大せられると、当然ヘルニアが起こり易くないものである。しかしながら、もし本件の場合、交通事故に伴つてそういう機転が働いたとすれば、その受傷時にこの部位に組織間出血、皮下出血が生じ、外見的にはその部の腫れと変色(皮下出血斑)がみられ、もちろん痛みも感ずるはずであるし その後日数が経つにつれ出血血液が吸収されるとしても、局所の組織に瘢痕を残すことになるはずであるが、田平整形外科病院のカルテにはこの部分に右交通事故に関わる損傷(皮下出血、腫れ、痛み等、強ければさらに皮膚面の損傷)のあつた旨は全く記載されておらず、また河井外科医の手術時所見も局所の瘢痕などがみられた証跡は無く従つて本件交通事故により局所に股ヘルニアを生ずる外傷性組織破裂を作つたということすなわち本件交通事故がサチの股ヘルニアの直接的原因となつたことは全く考えられない。但し(ロ)股ヘルニアの発生原因には先天説と後天説があり、今日もなお未解決であるが、専門家としては、大腿管が先天的に薄弱になつているうえに何らかの原因、たとえば咳をする時や物を持ち上げる時などの強い腹圧(腹腔内圧)の増加によりこれが発生すると考えられていること、統計的に成人、ことに比較的高令の人に多く、また女性が男性の三倍程度に多く発病すること、サチにおける交通事故以前の既往症としてのヘルニアの存否は明らかでないが、前掲甲第一号証のカルテには事故の約一年前からときどきヘルニアが出没していた旨を録取した記載もあること、長期入院による体力減退や栄養低下により、鼠蹊部ないし大腿管局所の筋膜組織の緊張が低下するということもあり得ることなどからみて、同人にヘルニア出現の素因ないし誘因があつたかも知れないことは一応考えられるので、右療養期間中に、たとえば排便時の怒責による腹圧増加等によつてヘルニアが出没することがあつても特別おかしくはない、ということが考えられ、且つ同人の入院中に行われた前記歩行訓練という不自然な歩行努力により腹圧が加わることもあるので、それがヘルニア出現に加功することも考えられないではないというのである。

右のうち(ロ)の医学的に可能な推論は、しかしながら、本件につき法律的な因果関係の存在の根拠となすには由ないものである。なぜなら、およそ事件の結果はその全体としての具体的所与において問題とされてはならない。これによると、結果に対し微々たる変化を生じさせたにすぎないものも、また結果に対し原因的となり、珍奇な結論を導くのみでなく、原因の範囲の取捨選択が恣意的になる可能性があつて、法律論に混乱をもたらし得るものであることは、ことに重畳的因果関係の場合に明白なのである。それゆえ、事件がなんらかの方向において結果に影響を与えたとか、この事件なかりせばその結果は現にそれがあるところとは全く違つていたであろうということでは不十分なのである。法的に原因たるためには、事件は、当該結果が然らざれば生じなかつたであろうような死、傷害ないし毀損のような一定の結果範疇において生じたか、あるいは一定不変の結果範疇内において、時・場所・毀損の程度等の法的観点、すなわち損害賠償法の視点からして重要な変化が加えられた場合でなければならない。而して右(ロ)の医学上の因果関係の推論は、なお、本件交通事故によるサチの右大腿骨骨折等の損傷ないしこれに必然的に伴うものとしての治療過程と同女の股ヘルニアに因る死亡の間の法的観点からする前述因果性の存在を提示したものと解することはできない。ちなみに松倉鑑定自身、本件交通事故とサチの死との間には、右推論の可能性にも拘らず、医学的因果関係はないと述べている。

以上要するに、本件交通事故がサチの股ヘルニアに基く死亡の原因であつたとする原告らの主張は失当である。

(二)  (イ)<証拠>によると、サチは田平整形外科病院に入院中の昭和四六年九月五日朝に至り腹痛を訴え、同病院の許可を得て、家族が同病院の隣の島本保内科医の往診を求めたところ、日曜日ではあつたが、同内科医が往診に応じ、サチの病室において診察し、これを胃炎と判断、胆石症の疑いもなく、虫垂炎については臨床所見を欠くが一応注意を要すると考え、鎮痛剤と虫垂炎の危惧に備えるメリアン・サルフア剤を注射したこと、サチは翌六日にも腹痛を訴え、もう一度同内科医の診察を受けたいと希望を表明したので、主治医であつた整形外科医田平礼章においてこれを許諾し、同女は同内科医の診察室に自らおもむいてその診察を受け、心電図、黄疸、血圧、体温、脈拍、白血球その他について諸検査を受けたが、やはり胃炎と診断され、鎮痛剤の投与を受け、さらに二日分の内服薬をもらつて帰院したこと、サチは翌七日にも腹痛、吐き気を訴え、そのため田平整形外科病院においてはグロンサン糖の注射をなし、翌八日にも吐き気がとれないと訴えたので同院において吐き気止めのためグロンサン糖を注射し、且つ栄養補給のためレオマクロデツクスやラクデツクGの輪液の点滴をなし、且つ右田平礼章医師サチの夫である原告勝彦の希望を聞き、これとも相談のうえ、なお念のためもう一人の内科医の診察を求めることとし、同日桜井内科医に自ら電話して往診を求めたが、やはり胃炎との診断を得たものであること、さらに右田平礼章医師は、サチの症状に応じて、九日には悪心止めの注射、ビタミン剤等の点滴、一〇日と一一日には輪液の点滴をしたが、一三日には気分が軽快したから輪液の点滴を希望しない旨の申出があつたので、特別の措置を施さず、一四日にはサチから何の訴えもなされなかつたものであることを認めることができ、右認定に反する証拠はない。而して松倉鑑定によると、その間サチの症状は、胃炎と判断される程度以上のものではなく、その腹痛が何に原因するかは判らないが、本件交通事故による前記損傷ないしはその後の治療手段、たとえば前記歩行練習のための腹圧によるヘルニア形成傾向に関係があるとか、その後のヘルニア嵌頓の前兆を疑わしめるものは何もなく、この間の症状が直接にサチの死を招いたとは言いえないことは勿論、ここに同女の死につながる病変があつたとすることもできないと解せられる。(ロ)又本項頭記の各証拠ならびに松倉鑑定によると、サチは同月一五日午前一〇時ごろから又も腹痛を訴えたので、同一一時ごろ田平整形外科病院において島本内科医に連絡して往診を求めたところ、島本内科医は、サチの腹部内臓に特別異常ある病状は出ていないが、ただ右鼠蹊部に拇指頭大の腫大を認めこれを始めは鼠蹊ヘルニア、後に股ヘルニア、但し未だ嵌頓はしてはいないが、経過如何によつては手術の必要あるものと考え、その旨田平整形外科病院の看護婦等に指示したこと、同日午後四時ころ島本内科医の再診時、同内科医はなお腹部に痛みがあり、右中腹部および右下腹部に腸雑音があり、嵌頓ヘルニアが考えられるから外科医にも診察してもらうようにと田平礼章医師に指示したため同医師において外科医の河井時義の往診を求めたが、同外科医にも嵌頓ヘルニアと考えられる旨の島本内科医の所見が伝達せられたこと、同日午後五時ごろ、河井医師の診察時、局所所見として上腹部膨満、筋性防禦、腹部各所の圧痛あり、腹水を徴し、鼠蹊部腫瘤は拇指頭大で軟いが可動性はなく、その他全身所見として、顔面憔悴、脈拍小、不整、血圧低下などのシヨツク症状が認められたので、同七時ごろ同外科医経営の河井病院に転送、腹膜炎兼ヘルニア嵌頓として同夜、田平礼章医師他二名の医師立会の下に、血液型検査、輸血ならびに輪液実施、強心、昇圧等の処置を行いつつ、尿、血液成分等の検査をなし、血圧の維持を図るなど手術の事前準備処置を行つたうえ手術に着手、鼠蹊靱帯下部の大腿管にヘルニア形成、ヘルニア嚢の肥厚と腸管の癒着を認めたので、これを剥離し、靱帯一部を切りヘルニアを腹腔内に還納、ヘルニア門を閉鎖して手術を終つたこと、その際腹腔内からフイブリン塊を混じた多量の稀薄な膿汁を排出したこと、右手術後より翌日、翌々日にわたり気分その他腹部の一般状態はやや好転の兆をみたこともあるが、高熱、血圧低下、呼吸促迫、心動昂進の諸症状は特別改善されず、徐々に心臓衰弱の度を増して、結局、手術後約三〇時間で死亡に至つたことを認めることができ、右認定に反する証拠はない。而して、松倉鑑定によると、当日午前一一時ごろ島本内科医が初診した時点では、一応ヘルニアの存在は認められたが、未だ軟く少し動く状態で、圧しても疼痛も訴えないが温器法を施すも軽く圧迫するも消退しないので、その時点では、未だ嵌頓状態ではないが、非還納性であり、それが進めば危険があるので、手術の要ありとして注意するよう看護婦等に注意したことはその時点で妥当な判断、措置と認められること、次いで同日午後四時ごろ同医師が診た状態ではすでに嵌頓ヘルニアと判断せられる状態にあつたと認められ、腹痛もあつたので、手術適応としてこれを田平礼章医師に連絡し、同医師の判断もこれに一致して河井外科医による外科的診断を求めたと認められるので、この時点における各関係医師の判断ならびに相互連絡にも特に欠くるところがあるとすべき点は認められないこと、次に河井外科医が右診察により要手術と判断として同日午後七時ごろに入院せしめたものの、当時一般状態は必ずしも良くなく、血圧低下、意識混濁等その他シヨツク状態も認められたので、前掲手術の事前準備処置を行つたうえ手術に着手、手術着手の結果未だ脱出腸管の壊死をきたしていないので、ヘルニア嚢を切開し一部靱帯をも切り開いてこれを腹腔内に還納し、腸管切除を行わずして手術を完了したその全過程も、一般術式どおりになされたものとしてとくに欠点とすべき部分も見出されず、該ヘルニア部分が還納状態であつた限りにおいては、手術時期の重大な遅延ともいい難いこと、右手術の翌日以降の全身状態の悪化は右九月一五日朝からのヘルニアが午後に嵌頓状態えと進むに従つて発現、進行した反応性の化膿性腹膜炎ならびにそれによる腹膜炎シヨツクの状態であつて、当の一五日朝の島本内科医診察の時点では、ヘルニアは認められてはいたが、それに伴う腹膜炎が始まつていたと判断すべき兆候はなく、河井外科医が当日午後四時ごろ初診した際の白血球算定結果も四、〇〇〇にとどまり、これは腹膜炎としてはむしろ符合しない結果であつて、従つて、河井外科医の開腹手術に際し始めて認識せられるまで、その併発存在が疑われる状態はなかつたものであること、一方、河井病院においてはヘルニア手術終了後腹膜炎ないしそのシヨツク状態に対し強心、昇圧その他各種治療措置を施したが、この措置も妥当であると認められること、河井外科医が手術に着手する直前のサチには意識混濁、血圧低下、脈拍細小等の所見があり、これは、通常手術に適しない状態であるといえないこともないし、またそのためにこそ手術前の各種の処置が一応施されたとみられるのであるが、それにも拘らず血圧がなお七〇台維持にとどまつていた程度で手術が行われたことについては、本件ヘルニアがすでに嵌頓状態にある以上、これを手術せずに放置すれば当然重篤な腸閉塞症をきたし、死に至ること必至であるという医学事情があるためであり、当該手術が敢行されたこと自体はやむを得なかつたものとすべきであること、そしてもしこの際サチにおいて右ヘルニアに伴う手術によつて始めて知り得た化膿性腹膜炎が併発しているような事態がなければ、本件程度のヘルニアの状態では、なお手術によるヘルニア障害からの救命の可能性が十分あつたと判断せられること、以上により、本件の最終段階(昭和四六年九月一五日以降の段階)の本件股ヘルニアに関する右診断ならびにその措置、特に手術および手術後の治療経過等は、それぞれの経過段階毎に、いずれも医療の実地上、妥当性があると解せられ、右鑑定の結果をくつがえすに足る証拠は何もない。

右認定のとおり、被告田平栄造あるいはサチの主治医である田平礼章は、専門外のサチの症状については各専門医に往診を求めるなどして積極的に診察を受けしめ、その診断を尊重して自己になし得る適切な医療措置を講じ、各専門医の診断、治療措置もその時々の状態に応じては妥当なものであつたのであり、そこには、原告ら主張の如き診断治療上の過誤ないしは適時適切な転院措置をとらなかつた過失は、これを診療契約上の債務不履行と言おうがあるいは又一般不法行為上の義務の違反と言おうが、いずれとするも存在しなかつたものと言わねばならない。

(三)  以上要するに、被告田平栄造にはサチが死亡するまでの間、これに加えた一切の治療上の措置において、原告ら主張の違法性ある作為、不作為はなかつたものである。それ故原告らの被告田平栄造に対する本訴請求は失当である。

二本件交通事故にかかる車輛の保有者訴外宮田栄三が昭和四五年七月二八日、被告同和火災海上保険株式会社の自動車損害賠償責任保険に加入していることは当事者間に争いがない。

しかしながら、<証拠>によると原告らは本件交通事故に伴い、被告会社から既に九〇万一、三四七円の保険金の支払を受けていることが認められるものであるところサチの本件事故当時の収入が仮に原告ら主張のように、一箇月五万円であるとしても、右事故から同年九月一八日の死亡に至る間の右割合による同女の逸失利益は二五万三、三三三円であり、本件交通事故による同女の精神的損害の額は、前認定の事情の下に、五〇万円と認定すべきであるから、原告ら主張のサチの損害額は、合計七五万三、三三三円にしかすぎない。原告ら主張のサチの葬式費用、墓石代をもつて原告らの損害となし得ないことはすでにして言うまでもない。それ故原告らの被告会社に対する本訴請求もまた失当である。<以下、省略>

(橋本喜一)

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